私の死の定義とは?!
昨日、少しだけある本を読んでいたら
「死とは何か、知っていますか」
「死んだ後ではなく、生きていて、健康で、元気なうちに、考え、感じているうちに、死とは何かを自分で見出しうるのです」
という文章と出会い考えさせられました。
しばらく天国へ旅立った愛犬のことや義理の父、祖父母、叔父叔母のことを考えました。
死とは何か?
死=はかり知れない無情の愛
という私なりの定義を見出しました。
肉体が存在していた時には気が付きにくく、言葉や態度という表面的な表現となりその奥にある最も重要なものを受け取れる時又は渡せる時は、肉体がこの世から離れ、はかり知れない光となった時に、旅立った側は時間を越え残された側へ無情の愛を降り注ぐことができ、残された側はそれを受け取ることができるのではないかと思いました。
無情の愛を受け取れた時には、涙や感謝、笑い、許しなどが現れて来るのではないかと思います。
憎しみや妬み、悲しみ又は後悔をずっと持ち続けてしまうと悲惨な生を送ることになってしいまうことも現実的にはありますよね。一時的にそういう思いになるのは当然のことながら私にもありました。なので気持ちはわかります。でも、その悲しみを背負いながら勇気を持って前を向いて生きていくことが強い愛があると私は思います。
あくまでも、この死については正解も不正解もなく現時点での私の表現です。
そして、今日愛犬の祭壇をキレイに手直ししました✨
仏花として去年ポンポンマム🌼の植木を買って祭壇に切花として供えてました。
花が咲き終わって葉が茂りなんだか窮屈そうだったので、植え替えようと思い植え替え時期を調べていたら、花言葉が「君を愛す」「真実」たっだのに驚きでした!!
全く前情報なく購入したので、なんだかこういうのって不思議ですよね😉
不思議ついでに愛犬へとお花を頂いて、ほとんど今では枯れてしまったのですが、唯一挿木していた1本から根が出て、これも二ヶ月経ってようやく植木鉢に植え替えました。
なんだか、愛犬が宿ったみたいな気がします😆